私は大学病院を担当して5年目になる営業です。入社したての頃は、製造業での営業経験が役に立つと思い込んでいましたが、医療の商談は「相手を間違えると、半年止まる」世界でした。痛い目を見た回数だけ、誰に会い、何を話すべきかが見えてきました。本稿では、医療・ヘルスケア領域で商談を進める際に必ず押さえたいキーパーソンを、私の失敗談とともに整理します。大阪・関西・近畿の病院を回るなかで、支援会社や代行会社、コンサルと連携しながら販路開拓と営業・事業開発を進めてきた経験を踏まえています。
1. まず理解しておきたい「院内の地図」
医療機関、とくに大学病院の意思決定は多層です。診療科部長、看護部、ME機器管理室、臨床工学、薬剤部、医療情報部、倫理委員会、経営企画、事務長、購買・契約管理。誰か1人が強く賛成でも、別の誰かの懸念で止まります。さらに、地域医療構想や病床再編、中期計画との整合、AIやクラウドをめぐるセキュリティ審査、働き方改革による時間外削減プレッシャーが重なります。
「担当者=キーマン」と思い込んで進めていた頃、承認ルートを聞き逃し、倫理・情報セキュリティ審査の開催サイクルを逃して3か月遅延しました。最初の面談で必ず「誰が関わるか」「いつ審査があるか」を聞くことから、私はやり直しました。
2. ステージ別に押さえるキーパーソンと視点
ステージ1:課題を言語化する相手
- 診療科部長/医局:臨床成績と患者安全、医師の時間への影響を気にされます。ガイドラインとの整合や責任の所在を明確にすると耳を傾けてくださいます。
- 看護部:看護記録、申し送り、教育工数、夜勤負荷。手順が増えると拒否が強いので、時間削減の根拠を数字で示すことが大切です。
- 経営企画:DPC係数、在院日数、再入院率、時間外削減、購買効率などKPI視点で課題を見ています。「中期計画にどう効くか」を一緒に整理すると味方になってくださいます。
ステージ2:技術適合と安全性を判断する相手
- ME機器管理室/臨床工学:安全性、互換性、保守性が焦点です。通信要件、電気安全、リモートサポート手順を先に出すと安心されます。
- 医療情報部/CIO:データフロー、ログ、暗号化、オンプレ/閉域クラウド、AIモデルの更新手順、ハルシネーション対策を重視されます。資料の後出しは嫌われるので、初回で出せるよう準備します。
- 薬剤部:薬機・添付文書、保管・滅菌・廃棄への影響。在庫や物流に関わる場合も必ず相談します。
ステージ3:運用と教育を設計する相手
- 看護部・薬剤部の中堅:シフトと教育の現実を握っています。夜勤帯や新人オンボーディングの手間まで一緒に組み立てると信頼されます。
- 問い合わせ窓口担当:誰が一次対応し、どこにエスカレーションするかを決める人です。連絡先とSLAを明確にすると「運用できそう」と言っていただけます。
ステージ4:費用対効果を判断する相手
- 経営企画/事務長/購買・契約管理:ROI、回収期間、TCO(導入・保守・教育・運用)、代替案比較、中期計画との整合。サブスク・成果報酬・リースの複線を出すと稟議が通りやすくなります。
ステージ5:倫理・情報セキュリティ審査を行う相手
- 倫理委員会/情報セキュリティ委員会:データ分類(医療情報/個人情報/匿名加工)、保存場所、ログ保持期間、アクセス権限、モデル更新、責任分界。開催サイクルを必ず確認し、資料不足を防ぎます。
ステージ6:契約・本番展開を決める相手
- 購買・契約管理/法務:責任分界、保守SLA、再委託禁止、情報漏洩時の対応。
- 現場リーダー:初期運用・教育・リリース管理を回す人。ここで躓くと「やっぱりやめたい」と言われかねません。
3. 2024〜2025年のトレンドとキーパーソンの関心
医療DX・生成AI
情報部はハルシネーション対策、監査ログ、根拠提示UI、モデル更新手順を求めます。看護部は入力削減の実感と教育負荷の低さを気にされます。経営企画は時間外削減と回収期間の数字に関心を持ちます。
病院再編と地域医療構想
経営企画や事務長は、中期計画(2025〜2027)の重点診療科に合うかを重視します。グループ病院横展開の手順(契約・教育・サポート・データ移行)を用意すると、「今年やる理由」が生まれます。
働き方改革と人的資本
看護部・診療科は時間外削減と心理的ストレス低減を求めます。タスクシフトの安全策(権限・ダブルチェック・監査ログ)をセットで出すと受け入れが早いです。
コスト圧力とTCO
購買・事務長は導入費だけでなく保守・教育・運用負荷まで含めた総コストを見ています。セルフメンテやリモートサポートで保守費を抑える案を示すと好感触です。
4. 私の失敗とリカバリー
失敗1:情報部への資料後出し
初回でデータフロー図とログ仕様を出せず、情報部から「次回揃えてください」と言われ、審査が1サイクル遅れました。それ以来、技術資料をテンプレ化し、必ず持参しています。
失敗2:看護部の教育工数を軽視
「手順は簡単ですから」と軽口を叩いた結果、看護部に強い反発を受けました。再訪問で夜勤帯の業務を見学し、教育計画と問い合わせ窓口を具体化してお詫びしたところ、態度が軟化しました。
失敗3:稟議で「なぜ今か」が弱い
中期計画を踏まえずに価格だけで押した結果、棚上げされました。重点診療科(救急、循環器、脳卒中、がん)との紐付けと、90日後の導入ストーリーを入れて再提出すると、通過しました。
5. 30・60・90日の動き方(私の実践メモ)
0〜30日:院内地図と資料整備
キーマンマップを病院ごとに描き、審査会の開催日を確認します。データフロー図、ログ仕様、更新ポリシー、責任分界点、教育計画、PoC計画(目的・期間・評価指標・データ範囲・費用・撤退条件)をパッケージ化します。
31〜60日:PoC合意と対話密度アップ
上位病院でPoCスコープと評価指標を合意し、生成AIで提案初稿と議事録要約を回します。週次で看護部・情報部と短時間の確認ミーティングを入れ、詰まりを早めに潰します。
61〜90日:稟議通過と横展開の絵
PoC結果を稟議セットに格納し、時間外削減やTCO削減を数字とストーリーで提示します。L1/L2サポート、教育・再教育、リリース管理、障害時フローを明文化し、同グループ病院への横展開プランを示します。
6. よく聞かれる質問(Q&A)
Q:誰から回るべきですか?
A:情報部とME機器管理室を早めに巻き込むと後工程が早くなります。看護部・薬剤部は運用負荷を握っているのでPoC前に必ず話します。
Q:価格は最後に下げればいいですか?
A:価格だけで進めると稟議が遅れ、結果的に値下げ幅が大きくなりがちです。「なぜ今」「どのKPIに効くか」を先に固める方が早いです。
Q:生成AIの精度はどう説明しますか?
A:PoCの評価指標(偽陽性率、誤生成率、応答時間)と監査ログ、モデル更新の審査手順、根拠提示UIをセットで見せます。
Q:失注したらどうしますか?
A:理由を定性・定量で記録し、次の病院で仮説を試します。失注直後に次の病院の予定を入れると、心理的な勢いを保てます。
7. まとめ:キーマンは「人」と「プロセス」で覚える
医療業界の商談は、キーマンのリストだけでは前に進みません。導入プロセスに沿って、誰がどこで何を心配するかを理解し、先回りで資料と対話を用意することが近道でした。
医療DXや生成AIの波、病院再編、働き方改革による時間外削減プレッシャー——この「空気感」を踏まえ、敬意を持って一人ひとりの懸念に向き合うと、扉が開きます。
今日も病院のカフェで5分だけ、「誰の不安を減らせたか」をメモします。答えが一人でも浮かべば、前進です。次の商談も、慎重に、丁寧に進めていきます。
8. ケーススタディ:失敗から通過までの軌跡
ケース1:情報部を後回しにした失敗
初回の診療科ヒアリングが好感触で、私は浮かれていました。ところが情報部への説明を後回しにしたため、倫理審査前に「データフローとログ仕様がない」と差し戻され、審査サイクルを逃しました。結果、3か月遅れ。再訪問で情報部とMEを同席いただき、閉域クラウドの接続要件、ログ保持、モデル更新手順を詳細に説明し、ようやく通過しました。学んだのは「技術資料は最初に出す」ことです。
ケース2:看護部の教育工数を見誤った失敗
「手順は簡単です」と伝えたものの、実際には夜勤帯の運用が複雑で、看護部から強い抵抗を受けました。私は謝罪を兼ねて再訪問し、夜勤帯のワークフローを見学。教育計画を再設計し、問い合わせ窓口を明示し、ハンズオン研修を提案しました。2週間後、看護部長から「これなら回せそう」と返答をいただき、PoCに進めました。学んだのは「現場を見るまでは簡単と言わない」ことです。
ケース3:価格勝負に逃げた失敗
稟議で価格競争に持ち込まれ、「値下げすれば通ります」と言われました。安易に応じたものの、結局は「今年でなくても」と棚上げ。後から救急・循環器の重点強化と働き方改革KPIを紐づけたストーリーを再構成し、90日後の導入イメージを示して再提出すると、定価に近い水準で通過しました。学んだのは「なぜ今か」を先に固めることです。
9. キーマンごとのトークスクリプト例
- 情報部/CIO向け:「データは院内で完結し、通信経路は閉域網です。ログは誰がいつ何をしたかを10年間保管し、閲覧権限は3段階で設定します。AIモデル更新は四半期ごとに事前審査を通します。」
- ME機器管理室向け:「既存機器との干渉テストを事前に実施し、リモートサポートで一次切り分けを行います。保守フローと責任分界を文書化しています。」
- 看護部向け:「夜勤帯の入力を1件あたり平均3分短縮できる見込みです。初回教育は1時間、交代勤務者向けに15分の再教育、問い合わせ窓口は平日9-18時+緊急時のオンコール体制です。」
- 経営企画・事務長向け:「在院日数と時間外削減をKPIに据え、回収期間は11か月で試算しています。DPC係数への影響や再入院率低減も評価指標に含めます。グループ病院への横展開手順も1枚にまとめています。」
10. 50項目チェックリスト(抜粋)
- 審査会(倫理・情報)の開催日を初回で確認したか
- データフロー図とログ仕様を初回で提出したか
- モデル更新手順と審査プロセスを提示したか
- 責任分界点と代替フローを明文化したか
- 看護部・薬剤部の教育計画を提示したか
- 時間削減を人件費換算し、回収期間を示したか
- 中期計画と重点診療科に紐づけたか
- サブスク/成果報酬/リースを複線提示したか
- 横展開(グループ病院)の手順を用意したか
- 失注理由を記録し、次病院で仮説検証する計画があるか
…実際には50項目を手元に持ち、訪問前に必ずなぞっています。
11. 2024〜2025トレンドの「今やる理由」テンプレ
- 医療DX・生成AI:監査ログと根拠提示UIが整ったタイミングで、倫理・情報審査を効率的に通せる。今年度の審査サイクルを逃さない。
- 病院再編・地域医療構想:グループ病院への横展開を今年の予算で仕込むと、翌年度の再編に間に合う。
- 働き方改革:時間外削減のKPIが厳格化しており、来期評価に間に合わせる必要がある。
- コスト圧力:物価高と人件費上昇に対応するため、TCOを抑える施策を今年度中に着手する。
12. 日々のルーティン(私が続けていること)
・初回訪問の帰り道に「聞けなかったこと」を3つメモし、翌日に回収する。
・看護部カンファレンス後に5分だけ残り、現場の率直な感想を聞く。
・生成AIで「今日の議事録を300字で」と自動要約し、同日中に関係者へ共有する。
・週末に失注レポートを見返し、次の商談で試す仮説を1つ決める。
・病院のカフェでコーヒーを飲みながら、「今日は誰の不安を減らせたか」を自問する。
13. さいごに:キーマンは敵ではなく、味方にできる
私は、最初は「誰が敵なのか」を探すような気持ちでした。ですが今は、キーマンは皆さん患者さんのために最善を尽くそうとされている味方だと感じます。
敬意を持って時間をいただき、懸念に先回りして準備し、約束した期限を守る——この3つを続けると、不思議なほど道が開けました。
今日もまた、院内の廊下を歩きながら「この提案で誰の時間が楽になるか」を考えています。一歩ずつ、丁寧に進めていきます。
夜遅く資料を直しても、病院の朝は早いです。「今日の1歩」が明日の信頼に直結します。焦らず、でも手を止めず、キーマンに敬意を持って向き合っていきます。
おまけ:初回訪問の持ち物リスト
- 会社概要(沿革・医療での実績・認証)
- 製品/サービス概要資料(課題→解決策→効果)
- データフロー図・ログ仕様・更新ポリシー・責任分界点
- 教育計画と問い合わせ窓口(担当者名と連絡先)
- PoC計画案(目的・期間・評価指標・費用・撤退条件)
- 横展開プラン(グループ病院を想定したプロトタイプ)
- 失注レポートから学んだ改善点(自戒として持参)
このリストを鞄に入れておくと、ほとんどの質問にその場で答えられます。準備は大変ですが、準備こそがキーマンへの最大の敬意だと感じています。
明日も朝早く病院に伺います。コーヒー片手に、今日より少しだけうまく話せるように、準備を整えて向かいます。
また病院で。
追加リソース
伴走型の営業支援や資料テンプレート、導入ステップはLPにまとめています。次の訪問準備に役立つ詳細は詳しくはこちらからご覧ください。
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