「製造業での営業なら勝てるのに、大学病院では全然進まない」。これは数年前の私の実感だ。医療機器メーカーで海外営業を経験し、2022年から大学病院営業を統括する立場になったとき、正直「何から手を付けるか」さえつかめず、初年度はほぼ空振りだった。ここでは、私が失敗を重ねながら見つけた「なぜ難しいのか」と「どう突破するか」を、2024〜2025年の空気感を交えて語る。硬い言葉よりも、現場で感じたままを書いたつもりだ。 関西・近畿の大阪エリアで病院営業を重ねる中、医療・ヘルスケアの販路開拓に強い支援会社や代行会社、コンサルの力を借りることも増えた。営業や事業開発の現場で、誰にどう頼り、どこまで自社で担うかの線引きが成果を左右する。
1. なぜ大学病院営業はここまで難しいのか
多層ステークホルダーの壁
診療科部長、看護部、ME機器管理室、薬剤部、臨床工学、病院長、購買・契約、倫理委員会、医療情報部。誰か一人が強く賛成しても、別の誰かの懸念で一瞬で止まる。「単独の決裁者」がほぼ存在しない。
ガバナンスと透明性の要求
反社チェック、利益相反、内部統制、コンプライアンス。根拠資料やリスク評価、更新管理計画を「初回提案」で求められることが普通になった。提出が遅れるだけで信頼を落とし、巻き戻しが発生する。
地域医療構想と病院再編
急性期/回復期の役割再編、病床の再配置。中期計画(2025〜2027)とズレた提案は、いかに良くても棚上げされる。病院側の「この3年で何を優先するか」を知らずに話すとほぼ無風で終わる。
医療DX・生成AIの実装フェーズ
画像診断補助、文書生成、オーダリング、在庫・購買最適化。PoCとAI倫理・情報ガバナンス審査がセット。ハルシネーション対策やモデル更新ポリシーを先出しできないと、入口で跳ね返される。
コスト圧力とTCO
物価高、人件費上昇、働き方改革。導入費だけでなく、保守・教育・運用負荷まで含めた総コストが問われる。「初年度無料です」より「3年でTCOをこう下げます」が効く。
現場の疲労感
医師・看護師・コメディカルの負荷は限界に近い。少しでも運用負荷が増える提案は拒否反応が強い。私はここを軽視して、初年度に何度も冷たい視線を浴びた。
2. 成功のための戦略① プロセス起点のキーマン設計
プロダクトを基点に「どの部署に話すか」を決めていた頃は、毎回違う理由で止まった。導入プロセスに沿ってキーマンを並べるようにしてから、面談の質が変わった。
導入プロセスで並べる
評価→安全性確認→運用責任→費用決裁→契約→現場展開。この流れで「誰が、どこで、何を心配するか」を書き出す。序列や影響力、懸念テーマ(安全・コスト・工数・データ)までメモする。
横串の味方を確保する
ME機器管理室(安全・互換性・保守)、看護部・薬剤部(ワークフローと教育工数)、医療情報部/CIO(AI倫理・セキュリティ・ログ)、経営企画・事務長(ROIと中期計画整合)。この4本柱を押さえると、他の部門との会話がスムーズになる。
技術と倫理を最初に出す
データフロー、ログ仕様、モデル更新ポリシー、責任分界点を初回で提示。倫理審査・情報セキュリティ審査に「何が必要か」「いつ開催か」をその場で確認する。これを後出しすると3か月単位で遅れる。
時間削減を数字で語る
「教授回診前の資料作成を週3回30分削減」「夜勤帯の入力を20分短縮」など、誰の時間がどれだけ減るかを具体化する。数字があると、忙しい現場でも真剣に聞いてくれる。
連続した場を設定する
初回面談の最後に、合同デモやPoC設計ミーティングの日程をその場で押さえる。感情の熱量があるうちに次のステップを決めることが、結果的に最短ルートになる。
3. 成功のための戦略② 経営KPIと中期計画に結びつける
大学病院は「患者に良いこと」だけでは動かない。経営KPIと中期計画にどう効くかを描くと、稟議の空気が変わる。
KPIを一緒に見る
DPC係数、在院日数、再入院率、時間外削減、夜勤負荷、購買効率、廃棄ロス、インシデント防止、患者体験。時間削減を人件費に換算し、回収期間(月数)を示す。逸失利益(機器ダウン、事故リスク)も入れる。
中期計画との整合
地域医療構想や病床再編で「どの診療科を伸ばすか」「どこを抑制するか」が決まっている。救急、循環器、脳卒中、がんなど重点診療科に効く効果を前面に出すと、経営企画が味方になる。
感情コストの低減
安全性、責任所在、教育負荷への不安は、SLAとトラブル時フローを先に出すことで和らぐ。PoCで「やってみたら心配が減った」という体験を作る。
90日後の景色を見せる
Day0セットアップ、Day30初期運用、Day60安定化、Day90報告。ここまでを書き込んだ稟議資料は、決裁者のイメージを具体化させる。最初は面倒だが、これが一番早道だった。
定性的価値を素直に書く
説明責任のストレスが減る、新人教育の標準化が進む、安全委員会への報告が簡素化する——数字になりにくいが、現場の賛同を得る「最後のひと押し」になる。
4. 成功のための戦略③ 伴走型オペレーションで再現性をつくる
アウトバウンド代行に丸投げして失敗した経験から、伴走型に切り替えた。初回訪問からPoC合意までの速度が倍になり、メンバーの疲労感も減った。
ハイブリッドで臨む
伴走型でシナリオと合意形成の質を上げ、代行で定型アウトリーチと資料整備の速度を上げる。温まったところを自社でクロージングする。
「型」を持ち歩く
初回質問テンプレ(審査会周期、予算サイクル、IT統制範囲、教育担当)、PoC計画テンプレ(目的・期間・評価指標・データ範囲・費用負担・撤退条件)、稟議セット(ROI、リスク、教育計画、SLA)を標準化。誰が行っても同じ骨子が出るようにした。
見える化と内省
CRMを医療向けステージにカスタムし、初回→技術適合→倫理/情報審査→PoC→稟議→契約→初期運用→定着を可視化。週次で「どこで詰まっているか」を眺め、次の手を決める。ここをサボると同じ穴に落ちる。
生成AIの内製活用
提案初稿、議事録要約、競合比較の叩き台をAIで作り、フィールドは院内事情に集中する。閉域環境でログを残し、情報部に説明できる状態を維持する。これだけで提案スピードが一段上がる。
チームの組み方
医療経験者とIT/セキュリティ担当をペアにし、週次で学びを共有。成功パターンを即テンプレ化し、次の病院に持ち込む。外部パートナー(代理店やBPO)にはデータアクセス範囲や再委託禁止を明文化し、院内に提示する。安心材料があると、顔つきが変わる。
5. 2024〜2025の空気を踏まえた提案の磨き方
医療DX/生成AI、病院再編、コスト圧力、働き方改革——この空気を踏まえて提案を磨くと「今やる理由」が強くなる。
医療DX・生成AI
セキュリティとガバナンスを先出し。監査ログ、根拠提示UI、オンプレ/閉域クラウド対応、モデル更新の審査手順を用意するだけで、初回面談が前向きになる。
病院再編・地域医療構想
グループ横展開の手順(標準プロトコル、教育キット、リモートサポート)と、連携病院でのデータ連携方針を伝える。中期計画とリンクさせると「今年度で動く理由」が生まれる。
コスト圧力とTCO
保守・教育・バックアップ・サポートの内訳を透明化し、セルフメンテとリモートサポートで保守費を抑える案を示す。サブスク/成果報酬/リースの複線提示で稟議が通りやすくなる。
働き方改革と人的資本
時間外削減を具体的な数字で示す。週何時間×年間×人件費、と電卓を叩いて見せる。タスクシフトの安全策(権限、ダブルチェック、監査ログ)をセットで。
情報セキュリティ審査の準備
データ分類(医療情報/個人情報/匿名加工)、保存場所と暗号化、ログ保持期間と権限、ベンダー認証(SOC2/ISMS)、脆弱性対応のSLO。HL7/FHIR連携やVPN/閉域網の要否、ネットワーク帯域も早めに共有する。
6. ありがちな失敗と私の対処
失敗1:倫理審査の遅れ
資料が後出しになり、開催サイクルを逃して3か月遅延。以降、初回で要件とスケジュールを必ず確認し、足りない資料を当週で作るようにした。
失敗2:稟議での「なぜ今?」
中期計画との整合が弱く、価格競争モードに。重点診療科との紐付けと、90日後の導入ストーリーを入れるだけで通過率が上がった。
失敗3:現場の疲弊感を読めない
「良い機能だから」だけで押し切り、看護部に強く反発された。以降、時間削減と教育負荷を最初に話すようにした。
7. まとめ:小さく転び、小さく前進
大学病院営業は「多層ステークホルダー×厳格ガバナンス×コスト圧力×働き方改革」が重なる。ここを理解せず走った結果、私は初年度を棒に振った。
いま思う勝ち筋は、①プロセス起点のキーマン設計、②経営KPIと中期計画に結びつける導入ストーリー、③伴走型オペレーションで再現性をつくること。生成AIと医療DXは質と速度を同時に上げる武器だが、倫理とセキュリティを先に出すのが信頼の前提になる。
もし次の一手に迷ったら、今週の営業会議で3分ピッチだけしてほしい。キーマンマップとPoCテンプレを配り、まず1病院で型を磨き、2病院目以降はスピード勝負に振る。病院のカフェでコーヒーを飲みながら5分だけ振り返る——そんな小さな習慣が、私には一番効いた。
付録1:30・60・90日の実装メモ
0〜30日
- ターゲット病院ごとに導入プロセス別キーマンマップを作り直す。
- AI/クラウド案件は、データフロー図、ログ仕様、更新ポリシー、責任分界点をテンプレにしておく。
- 初回訪問で必ず「審査会の開催周期」「必要資料」を聞き、カレンダーを押さえる。
31〜60日
- 上位3病院でPoCスコープと評価指標(時間削減・エラー減・ROI・患者体験)を合意。
- 生成AIで提案初稿と議事録要約を回し、面談頻度を落とさない。ログは閉域環境で保存。
- CRMでステージ進捗を見える化し、詰まりを毎週言語化する。
61〜90日
- PoC結果を稟議セットに格納し、労務インパクト・TCO・安全性を数字とストーリーで提示。
- サポート体制(L1/L2)、教育・再教育計画、リリース管理を明文化し、不安を除去。
- 同グループ病院への横展開ロードマップを示し、追加予算と人員を確保。
付録2:よく聞かれるQ&A
Q1:価格は後で下げればいいのでは?
A:価格交渉に入る前に「なぜ今か」「どんなKPIに効くか」を固める方が早い。価格だけで進めると稟議が減速する。
Q2:AIの精度はどこまで示す?
A:PoCの評価指標とハルシネーション対策(監査ログ、根拠提示UI)をセットで。モデル更新時の審査手順まで出すと安心される。
Q3:誰から回るのが正解?
A:案件によるが、情報部とME機器管理室を早めに巻き込むと後工程が早い。看護部・薬剤部が現場負荷を握っていることも多い。
Q4:失注後にやることは?
A:理由を定性的・定量的にメモし、次の病院で仮説を試す。私は失注レポートを「次の仮説集」と呼んでいる。
付録3:提案文章の骨子テンプレ
- 目的:どの診療科のどの課題を、どのKPIで改善するか
- 現状と課題:業務フロー、時間負荷、エラー/事故リスク、患者体験
- 解決策:プロダクト/サービス概要、運用案、教育計画、サポート体制
- 安全性・倫理:データフロー、ログ、責任分界、AI倫理の遵守
- 効果試算:時間削減→人件費換算、回収期間、逸失利益回避、代替案比較
- 導入計画:Day0/30/60/90のマイルストーン、リスクと回避策
- 横展開:グループ病院へのスケール手順、教育キット
小さな実感メモ
・「今日はどこで詰まったか」を帰りの電車で2行メモすると、翌日の動きが変わる。
・看護部のカンファ後、5分だけ残って感想を聞くと、導入のハードルが一段下がる。
・生成AIに「今日の議事録を300字で」と頼むだけで、夜の資料作成が30分短くなる。
・失注はつらいが、次の勝ち筋の種になる。落ち込む時間を短くするほど、次の速度が上がる。
ケース:失敗から再提案までの軌跡
最初に導入を断られた大学病院では、倫理審査の要件を聞き逃し、開催サイクルを逃した。そのときは正直落ち込んだが、次の週に再訪し、情報部門とMEに「不足資料を全部用意して1週間で再提出する」と約束した。1週間後、データフロー図とログ仕様、責任分界点を整え、看護部には時間削減の試算を再提示。2回目の倫理委員会で可決され、そこから90日でPoC、半年で本番化できた。
この経験で学んだのは「早さは信頼」だ。遅れるほど「この会社は大丈夫か」という不安が溜まる。逆に、足りないものを素早く埋める姿勢は、価格より強い説得力になる。
用語ミニメモ
- PoC:Proof of Concept。大学病院では「目的・期間・評価指標・データ範囲・費用負担・撤退条件」を明文化するだけで通りやすくなる。
- DPC:包括払い制度。係数改善は経営が注目するKPIなので、時間削減や再入院率低減とセットで示す。
- L1/L2サポート:一次問い合わせと二次対応。誰がどこまで対応するかを書くだけで、運用不安が下がる。
- ハルシネーション:生成AIが根拠のない出力をすること。監査ログと根拠提示UIが対策の基本。
最後に。大学病院の廊下を行き来していると、ふと自分が「医療の一部」に触れている実感が湧く。営業は外から来た存在だが、病院の空気に敬意を払い、相手の時間を削らないように工夫するだけで、扉は少しずつ開く。私もまだ道半ばだが、この文章があなたの次の一歩を少しでも軽くできたらうれしい。 今日もまた、院内のカフェでコーヒーを飲みながら、次の作戦を練っている。小さな前進を積み重ねて、一緒に乗り越えていこう。 また病院に行こう。
追加リソース
伴走型営業支援の具体的な進め方や事例、導入ステップと費用イメージはLPにまとめています。関心のある方は詳しくはこちらをご覧ください。
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