「全国で患者数は100人。うちの県には2人いるかいないかです」 マーケティング部から降りてきたターゲットリストを見て、MR(医薬情報担当者)たちが絶句する。 かつては「高血圧」や「糖尿病」のように、何百万人も患者がいる市場で、「とにかく数を回れ!」というローラー作戦が正義でした。
しかし、その「ブロックバスター(大型新薬)時代」は終わりました。 今、製薬企業が生き残りをかけてシフトしているのが、患者数は極めて少ないが、切実な治療ニーズがある「オーファンドラッグ(希少疾病用医薬品)」です。
はじめまして。医薬品メーカーで営業企画部長をしている南田良平です。 私は30年間、MRとして現場を回り、今は本社のSales Ops(セールス・オペレーションズ)部門で、データに基づいた効率的な営業体制の構築に取り組んでいます。 「1錠10万円」とも言われる高額なオーファンドラッグ。 これを届ける営業は、従来の「お願い営業」とは全く次元が異なります。 まさに、干し草の山から針を探すような、高度な情報戦と、患者さんに寄り添う倫理観が求められます。
本記事では、製薬業界のラストフロンティアであるオーファンドラッグ市場において、MRがどう動き、どう価値を発揮すべきか。 その戦略と心構えについて、現場の作戦参謀としての視点から解説します。
第1章:なぜ今、オーファンドラッグなのか?
開発費数百億円、成功確率3万分の1。この創薬の常識を覆すのが、オーファンドラッグのビジネスモデルです。
1. アンメット・メディカル・ニーズ(満たされない医療ニーズ)
- 市場の飽和と空白: 高血圧や高脂血症などの生活習慣病薬(プライマリケア領域)は、すでに安価なジェネリック医薬品が溢れています。一方で、世界には治療法のない希少疾患が7000種類以上あり、その95%には薬がありません。
- 独占性: 患者数が少ないため、一度承認されれば競合が参入しにくく、長期間にわたって市場を独占できます。「薄利多売」から「高付加価値・少量販売」へ。これが製薬企業の生存戦略です。
2. 国の優遇措置(インセンティブ)
- 厚労省の後押し: 指定難病の創薬は国家戦略です。希少疾病用医薬品に指定されると、強力なメリットがあります。
- 助成金: 開発費の最大50%(上限あり)が補助されます。
- 優先審査: 審査期間が通常12ヶ月から9ヶ月程度に短縮されます。特許期間中の販売期間が延びるため、収益性が劇的に向上します。
- 再審査期間の延長: 通常8年のところ、最大10年までジェネリック参入を防げます。
3. バイオテクノロジーの進化
- 技術的ブレイクスルー: かつては「原因不明」だった病気が、ゲノム解析で「特定の遺伝子異常」だと分かるようになりました。
- モダリティ: それに対し、抗体医薬、核酸医薬、遺伝子治療といった新しい技術(モダリティ)で、ピンポイントに介入できるようになりました。「治せなかった病気」が「治せる病気」に変わった技術革新が、この市場を支えています。
第2章:オーファンドラッグ営業の「3つの壁」
「1錠売れれば大きい」とは言いますが、その1錠にたどり着くまでの道のりは、砂漠でダイヤモンドを探すような苦難の連続です。
壁1:患者が見つからない(診断がつかない)
- 平均7年の彷徨: 希少疾患の患者さんは、確定診断がつくまでに平均7年かかり、5つ以上の病院を回ると言われています(診断ラグ)。
- 現場の実態: 一般的な開業医の先生は、その病気を一生に一度見るか見ないかです。初期症状が「ただの疲れ」や「成長痛」と似ているため、見過ごされます。
- MRの使命: だからこそMRは、薬のプロモーションではなく「病気のプロモーション(疾患啓発)」を行います。「先生、この検査値の異常、もしかしたらファブリー病のサインかもしれません」と、気づきを与えることが最初の仕事です。
壁2:専門医が限られる
- 紹介のハードル: 地域に専門医は一人しかいないこともザラです。かかりつけ医から、大学病院の専門医へ、スムーズに紹介状を書いてもらうための「病診連携ルート」を作らなければなりません。
- アクション: 「この患者さんは、あそこの先生なら診てくれます」という情報を、地域の医師会や勉強会を通じて広め、患者さんが適切な医療にたどり着く導線(ペイシェント・ジャーニー)を設計します。
壁3:高額な薬剤費と病院の経営
- 在庫リスク: 「1バイアル30万円? そんな高い薬、在庫して期限切れになったら誰が責任取るんだ」。薬剤部長の壁です。
- 解決策: ここは物流の勝負です。「院内在庫はゼロで構いません。患者さんが来ると分かった時点で発注いただければ、翌日の午前中には卸さんが届けられる体制を組みました」と、在庫リスクを極限まで下げる提案が必要です。また、高額療養費制度などの患者説明用資材をセットで提供し、医事課の負担を減らす配慮も不可欠です。
第3章:Sales Ops(営業企画)が描く「勝てる戦略」
私が本社で指示している、オーファン時代の営業戦術です。
戦術1:デジタル×アナログのハイブリッド探索
MRが足で探すには限界があります。 そこで、Web講演会やオウンドメディアを活用します。 「原因不明の手足の痺れ、実は〇〇病かも?」というWebセミナーを開催し、視聴した医師のログを解析。 「この先生、熱心に見ているな。もしかして患者さんを抱えているのかも?」 そのデータを元に、MRがピンポイントで訪問する。 AIによる「見込み医師のスコアリング」。これが効率化の鍵です。
戦術2:KOL(キーオピニオンリーダー)ネットワークの構築
その疾患の権威である教授(KOL)を頂点とした、紹介ネットワークを作ります。 「診断に迷ったら、〇〇大学の△△先生に相談してください」というカードを配る。 KOLの先生には、地域の医師向けに「診断の手引き」や「早期発見のポイント」をレクチャーしてもらう。 私たちはその「場(講演会)」をセッティングする黒子に徹します。
戦術3:患者アドボカシーグループ(PAG)との連携
希少疾患では、患者会の情報発信力が非常に強いです。 患者会と企業が対立するのではなく、パートナーとして連携する。 患者さんの声を開発や治験デザインに反映する(PPI: Patient and Public Involvement)。 「患者さんと共に歩む製薬企業」という信頼(レピュテーション)こそが、長期的なブランドになります。
第4章:現場MRに求められる「能力の変質」
「明るく元気で、接待上手」なMRはもう不要です。 求められるのは以下の3つの力です。
1. 高度な学術知識(サイエンス力)
- 要求レベル: 専門医と議論できるレベル(Ph.D.を持っているMRもいます)。
- 行動: 論文検索サイト(PubMed)を日常的に使いこなし、「先生、このNew England Journal of Medicineの最新論文では、こういう治験データが出ています」と、iPadで即座に提示できること。
- マインド: 「売る」のではなく「医学的真実を共有する」。
2. コンサルティング力(診断支援)
- 悩み: 医師は「診断がつかなくて困っている」のです。
- 行動: 「この症状の組み合わせは、〇〇病の可能性があります。鑑別診断のために、このバイオマーカー検査(保険適用)を出してみませんか?」という具体的なアクションプランを提示する。
- ツール: 診断フローチャート(アルゴリズム)の作成・配布が有効です。
3. 社会資源の知識(制度案内)
- 悩み: 患者さんは「高くて払えない」と治療を諦めます。
- 行動: ソーシャルワーカー(MSW)顔負けの制度知識を持つこと。「指定難病申請をすれば、自己負担は月額〇〇円まで下がります」「高額療養費制度と付加給付を組み合わせれば、実質負担はわずかです」と、ファイナンスの解決策を提示する。これが最後のクロージングになります。
第5章:明日から使えるアクション・チェックリスト
あなたの担当エリア、まだ見ぬ患者さんが待っています。
- [ ] 担当疾患の「初期症状(Red Flag)」を、非専門医に1分で説明できるか?
- [ ] エリア内の専門医(紹介先)リストを携帯しているか?
- [ ] 地域の「神経内科」や「小児科」の開業医をマッピングしたか?
- [ ] 指定難病受給者証の申請フローを理解しているか?
- [ ] 卸(おろし)のMSさんと情報交換し、類似薬の処方動向を把握しているか?
【実録】ケーススタディ:ある遺伝性疾患の患者発見
地方の総合病院の事例
【状況】 ある遺伝性の筋肉疾患。進行すると歩けなくなるが、新薬で進行を止められる。 しかし、その地方では過去5年間、新規患者が見つかっていなかった。
【MRの行動】 担当MRのA君は、過去のカルテ掘り起こし(スクリーニング)を提案。 「原因不明で車椅子になった患者さん、カルテの病名が『筋ジストロフィー疑い』で止まっていませんか?」 神経内科の部長と協力し、過去10年のカルテをキーワード検索。 さらに、リハビリテーション科のセラピストにも「歩き方に特徴のある患者さんはいませんか?」と聞き込みを行った。
【結果】 3名の未診断患者さんが見つかった。 遺伝子検査の結果、確定診断がつき、治療を開始。 「もう治らないと諦めていた。進行が止まってよかった」と患者さんは涙を流した。 A君は、1錠も売る活動はしていない。ただ「患者さんを見つける」活動だけをした。 結果として、それが最大の売上貢献(と社会貢献)になった。
よくある質問(FAQ)
Q. 患者数が少なすぎて、ノルマが達成できません。
A. オーファンの評価軸は「売上金額」だけではありません。「新規処方医の獲得数」や「検査実施数」など、プロセス指標(KPI)で評価されるべきです。上司が数字しか見ていないなら、「この活動は将来の種まきです」と、Sales Ops的なロジックで説得してください。
Q. 患者会との付き合い方が分かりません。
A. 「売ろう」としないでください。「困りごとを聞く」姿勢だけでいいです。「薬の副作用情報が分かりにくい」「注射の手技が難しい」。その声を会社に持ち帰り、資材やデバイスを改善する。それが一番の貢献です。
Q. ジェネリック(AG)は出ますか?
A. 出にくいです。製造が難しく、市場も小さいので、後発品メーカーが参入するメリットが薄いからです。つまり、ライフサイクルが長い。一度信頼関係を築けば、10年以上パートナーとして付き合えるのがオーファンの特徴です。
Q. 診断がつかない患者さんをどう探せばいいですか?
A. 「疑い病名」に着目してください。電子カルテのデータウェアハウス(DWH)検索ができるなら、「原因不明の〇〇」という病名がついている患者を抽出してもらうよう、院内のシステム担当者に働きかけます。また、検査会社と連携し、特定の検査値異常がある患者をドリルダウンする方法もあります。
Q. 遺伝子検査の同意を取るのが難しいです。
A. 「遺伝情報はデリケートだから」と躊躇する医師が多いです。そこで、認定遺伝カウンセラーとの連携を提案します。「カウンセリングは専門家に任せて、先生は治療に専念してください」という役割分担を提案し、カウンセラーを紹介するスキームを作ってください。
Q. Web講演会の視聴率が上がりません。
A. 「総花的なタイトル」だからです。「〇〇病の診断」ではなく、「『原因不明のめまい』に隠れた〇〇病を見抜く3つのサイン」のように、一般医が日常診療で困っている症状(主訴)をタイトルにしてください。これだけでクリック率が倍増します。
現場で使える!重要用語解説
- 指定難病(していなんびょう):
- 国が指定した難病。医療費助成の対象となる。338疾病(令和3年時点)。オーファンドラッグの対象疾患と重なることが多い。
- コンパニオン診断薬:
- その薬が効くかどうかを事前に調べる検査薬。オーファンドラッグとセットで開発・承認されることが多い。MRは薬と同時にこの検査薬もプロモーションする必要がある。
- PA (Patient Advocacy):
- 患者支援・擁護活動。製薬企業の中に専門の部署(ペイシェント・アドボカシー部)ができるほど、重要性が増している。
コラム:一人を救うことの重み
「たった一人のために、数百億円かけて薬を作る意味があるのか?」 経済合理性だけで見れば、Noかもしれません。
でも、その一人は、誰かの子供であり、親であり、大切なパートナーです。 私たち製薬企業の使命は、株価を上げることの前に、生命を守ることです。 オーファンドラッグに関わるMRは、その最前線にいます。
マス・マーケティングの時代は終わりました。 これからは「N=1(たった一人)」に向き合うマーケティングの時代です。 あなたが今日、一人の先生に渡したパンフレットが、地域で孤独に苦しむ一人の患者さんの運命を変えるかもしれない。 そんなドラマチックな仕事が、他にあるでしょうか。 誇りを持って、その「針」を探し続けてください。
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