「院長、後継者はお決まりですか?」 この質問をした瞬間、診察室の空気が凍りついたのは、もう昔の話です。 最近は、先生の方からこう言われます。 「井戸さん、どこか良い買い手、いないかな?」
はじめまして。医療・介護経営コンサルタントの井戸章一です。 長年、大阪を拠点に病院経営の「出口戦略」のお手伝いをしてきました。 かつて病院のM&Aといえば、「乗っ取り」「身売り」というネガティブなイメージが付きまとっていました。 しかし今、その潮流は劇的に変わっています。 「地域医療を守るための友好的提携」。 これが今のトレンドです。
とはいえ、一般企業のM&Aとは全く異なる、医療独特の「作法」と「地雷」が存在します。 本記事では、机上のファイナンス理論ではなく、私が現場で見てきた「成功するM&A」と「破談になるM&A」の違いについて、本音で解説します。
第1章:なぜ今、病院M&Aが急増しているのか
1. 後継者不在という「時限爆弾」
開業医の平均年齢は60歳を超えています。 しかし、子供は医師にならなかったり、勤務医として大学に残ることを選んだりして、実家を継がないケースが増えています。 「このままでは廃院するしかない」。 しかし、患者さんがいる限り、急に閉めるわけにはいきません。 そこで、第三者に病院を譲る「第三者承継」が唯一の解決策として浮上しています。
2. 「規模の経済」を求める生き残り戦略
診療報酬のマイナス改定、資材高騰、賃上げ。 単独の病院経営は限界を迎えています。 そこで、複数の病院や介護施設をグループ化(ホールディングス化)し、薬剤の共同購入や、管理部門の共通化でコストを下げる動きが加速しています。 「買う側」にとっても、ゼロから病院を建てるより、既存の病院を買った方が、患者基盤もスタッフも手に入るため、圧倒的に効率が良いのです(これを「時間を買う」と言います)。
3. コロナ融資の返済開始
ゼロゼロ融資の返済が始まり、資金繰りに行き詰まる病院が出てきています。 銀行も「これ以上の追加融資は難しい。どこかの傘下に入りませんか?」とM&Aを主導するようになりました。 「救済型M&A」の案件が、昨今急増しています。
第2章:医療M&A特有の「3つのハードル」
普通の会社を買うのとはわけが違います。
ハードル1:病床規制と医療法人制度
病院のベッド(病床)は、都道府県の許可がないと増やせません。 つまり、M&Aは「病床という既得権益」を買う行為でもあります。 また、医療法人は基本的に「配当」が出せません。 出資持分あり・なしの違いや、社員総会の議決権など、会社法とは違う独特のガバナンス構造を理解していないと、買収後に「こんなはずじゃなかった」と揉めることになります。
ハードル2:デューデリジェンス(資産査定)の闇
帳簿上は黒字でも、実はボロボロだったというケース。
- 簿外債務: 職員への未払い残業代が数億円隠れていた。
- 設備老朽化: 建物の耐震基準不適合や、アスベスト問題。
- レセプト請求漏れ: 過去の請求に不備があり、監査で返還命令が出るリスク。 これらは、医療専門の会計士やコンサルタントでないと見抜けません。 「安く買えた」と喜んでいたら、後から巨額の損失が出ることがよくあります。
ハードル3:最大の難関「PMI(統合プロセス)」
M&Aの成否は、契約調印(クロージング)後、いかに組織を融合させるか(PMI)にかかっています。 特に医療現場は「文化」がぶつかり合います。 「前の院長のやり方」に固執する古参スタッフと、改革を進めたい新経営陣。 この対立を放置すると、医師や看護師が大量離職し、病院はもぬけの殻になります。 私は、「最初の3ヶ月は何も変えない」ことをアドバイスしています。 まずは現場の声を聞き、リスペクトを示すこと。改革は信頼関係ができてからです。
第3章:成功事例に見る「勝ちパターン」
パターン1:ドミナント戦略(エリア集中)
介護事業者が、連携先のクリニックを買収するパターン。 または、訪問看護ステーションを買い集めるパターン。 同じエリア内で「医療・介護・住まい」のチェーンを繋ぐことで、患者さんをグループ内で循環させるエコシステムを作ります。 これは地域包括ケアシステムの理念にも合致し、経営効率も極めて高い最強のモデルです。
パターン2:機能分化(選択と集中)
救急病院が、経営難の療養型病院を買収するパターン。 自院の急性期治療が終わった患者さんを、スムーズに療養型に移すことができます(後方連携の強化)。 「急性期」と「慢性期」の役割分担をグループ内で行うことで、平均在院日数を短縮し、診療報酬を最大化できます。
パターン3:異業種からの参入
鉄道会社や商社など、資本力のある企業がヘルスケア事業に参入する手段としてM&Aを行います。 彼らは医療のノウハウがないため、運営は私たちのような専門コンサルや、提携先の医療法人に委託します(MC: マネジメントコントラクト)。 資金力と経営ノウハウ(ガバナンス)を持ち込むことで、古い体質の病院を近代化させる成功例が増えています。
第4章:売る側・買う側の心得
売る側(譲渡側)の心得
「高く売りたい」は当然ですが、それ以上に「職員と患者を守ってくれるか」を見てください。 そして、情報は絶対に漏らさないこと。 「院長が病院を売るらしい」という噂が出た時点で、スタッフは不安になり辞めていきます。 発表のタイミングと言い方は、コンサルタントと綿密にシナリオを作ってください。
買う側(譲受側)の心得
「DD(査定)で見抜けなかったリスクは、自分の責任」と腹を括ってください。 そして、買った後の「シナジー(相乗効果)」を具体的に描くこと。 単に規模が大きくなっただけでは、固定費が増えるだけです。 「この病院を買うことで、グループ全体の薬剤購入費が10%下がる」「人材交流ができる」といった明確な算段が必要です。
第5章:明日から使えるアクション・チェックリスト
M&Aを検討する経営企画室の方向けです。
- [ ] 自院の商圏(医療圏)の「病床需給バランス」を把握しているか?
- [ ] 買収候補先の「出資持分」の有無を確認したか?
- [ ] 隠れ債務(未払い残業代、社会保険未加入)の概算チェックをしたか?
- [ ] キーマンとなる医師(院長・部長)が残留してくれるか、意思確認をしたか?
- [ ] 買収後のITシステム統合(電子カルテの統一など)のコストを見積もったか?
【実録】ケーススタディ:地域密着クリニックの承継
内科クリニック G医院の事例
【課題】 院長(72歳)が体調を崩し、引退を決意。 後継者はおらず、閉院を考えていたが、地域にかかりつけ医がなくなることに住民から不安の声が上がっていた。
【スキーム】 近隣で訪問診療を展開していた30代の若手医師が、「外来拠点が欲しい」と手を挙げた。 建物と医療機器、そして何より「患者カルテ(顧客基盤)」と「スタッフ」をそのまま引き継ぐ形で事業譲渡。 譲渡対価は、営業権(のれん代)として年間利益の2年相当分を設定。
【結果】 看板もスタッフもそのままだったため、患者さんは違和感なく通院を継続。 若手医師は、訪問診療の合間に外来を行うことで効率的な働き方を実現。 前院長は「名誉院長」として週1回だけ外来を手伝い、ゆっくり引退生活へ。 最も幸せな「バトンタッチ」の形となった。
よくある質問(FAQ)
Q. 赤字の病院でも売れますか? A. 売れます。ただ、当然価格は下がりますし、マイナスの要因(借金や老朽化)によっては「0円譲渡(借金引き受けのみ)」や、逆に「お金を払って引き取ってもらう」ケースすらあります。それでも、立地が良かったり、特定の専門性(透析やリハビリ)が高かったりすれば、再生案件として買い手がつきます。
Q. M&A仲介会社の手数料は? A. 一般的に「レーマン方式」という計算式を使いますが、最低報酬(ミニマムチャージ)として500万〜2000万円程度かかります。小規模クリニックの場合は、マッチングサイトを使うか、地元の税理士・医師会経由で探す方がコストを抑えられます。
Q. 職員への説明はいつすべき? A. 最終契約(クロージング)の直後が鉄則です。それまでは幹部の一部にしか明かしません。説明会では「雇用は守られるのか」「給料は変わるのか」という不安に、新オーナーの口からはっきりと「No(不利益変更はしない)」と答えることが、組織崩壊を防ぐ第一歩です。
Q. 海外の投資ファンドが日本の病院を買うことはありますか? A. 増えています。特に中国やシンガポールの投資家が、日本の「検診センター」や「美容クリニック」に興味を持っています。医療ツーリズムの拠点にしたいからです。ただ、医療法の規制(外国人は理事長になれない等)があるため、直接保有ではなく、MS法人(メディカルサービス法人)を通じた出資スキームになります。
Q. 良いM&Aコンサルタントの見分け方は? A. 「破談」を恐れない人を選んでください。成約させないと手数料が入らないため、無理やりにでもくっつけようとする業者が多いです。「先生、この案件はやめた方がいいです」と、リスクを指摘してブレーキを踏めるコンサルタントこそ、信用できます。私たちは常に「買わない勇気」も提案しています。
Q. 買収後、スタッフの給与体系はどう合わせるべきですか? A. これが一番の難問です。一般的に、買収された側の給与水準が高い場合は維持し(不利益変更禁止)、低い場合は徐々に引き上げる(ベースアップ)形をとります。一気にやると人件費が跳ね上がるので、3〜5年かけて段階的に統合する「経過措置」を設けるのが一般的です。
現場で使える!重要用語解説
- 出資持分(しゅっしもちぶん):
- 2007年以前に設立された医療法人にある財産権。解散時や退社時に、出資額に応じた財産の払い戻しを請求できる権利。M&Aの際、この評価額が数十億円になり、買収の足かせになることが多い。
- DD (Due Diligence):
- 買収監査。財務、法務、人事、医療機能など、多角的にリスクを洗い出す作業。ここをケチると後で泣きを見る。
- PMI (Post Merger Integration):
- M&A後の統合プロセス。システムの統合から、企業風土の融合までを含む。M&Aの失敗の8割はPMIの失敗と言われる。
コラム:経営者の「引き際」を美しく
コンサルタントとして多くの経営者を見てきましたが、「引き際」が美しい人は尊敬されます。 「俺が作った病院だ」と執着し、ボロボロになるまで抱え込んでしまうと、誰も幸せになりません。 元気なうちに、次世代にバトンを渡す。 それもまた、立派な経営判断であり、最後の仕事です。
M&Aは、終わりではありません。 その病院が、次の時代も地域で生き続けるための「第二の創業」です。 もし、事業承継でお悩みなら、一人で抱え込まずに相談してください。 あなたの想いごと引き継いでくれる相手を、一緒に探しましょう。
大きな成長市場です。
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