「人が足りない、すぐ辞める、エリアが広すぎる、価格競争で削られる」。これは、医療機器メーカーで営業統括部長を務める私がここ数年、会議で繰り返してきた嘆きだ。医療用ベッドを中心に病院と介護施設を担当しているが、人員不足と離職、広域エリア、デモ機運搬の負荷、物価高と人件費上昇によるコスト圧力が重なっている。既存顧客フォローで手一杯で、新規開拓は後回し。そんな状況を変えるために、ここ2年間で試し、うまくいったこと、失敗したことを正直に書く。2024〜2025年のトレンド(医療DX・生成AI、地域医療構想と病院再編、ガバナンス強化、働き方改革による時間外削減)を前提に、販路拡大の打ち手を整理した。 大阪・関西・近畿の病院で営業・事業開発を回しつつ、支援会社や代行会社、コンサルと連携してヘルスケア分野の販路開拓を進めてきた経験を踏まえている。
1. いま販路拡大が難しい理由
- 人員不足と離職:採用しても定着せず、担当エリアが一人あたり広域化。移動時間が膨らみ、デモ機の運搬で体力も削られる。
- 価格競争の圧力:物価高と調達コスト上昇で、購買・契約管理は価格に厳しい。差別化が曖昧だと即値引き要求。
- 病院再編と中期計画:地域医療構想で役割が再定義され、投資優先度が変わる。中期計画(2025〜2027)とずれた提案は後回し。
- ガバナンスと透明性:反社・利益相反チェック、内部統制が強化され、資料の精度と更新管理が問われる。
- 働き方改革:医師・看護師・コメディカルの時間外削減が最優先。導入で負荷が増えると拒否反応が強い。
- 情報セキュリティ審査の厳格化:医療DXやクラウド連携が絡むと、情報部と倫理委員会の審査を避けられない。資料後出しは命取り。
2. 売れ筋エリアの再定義:広域担当を捨て、重点を絞る
私は「全エリアを薄く回る」やり方をやめた。売上の8割を占める関西圏にまず集中し、残りエリアは代理店とアウトソースで補完するようにした。
手順
- 過去3年の売上と利益、訪問頻度をエリア別に整理。移動時間とデモ機コストも入れる。
- 上位エリア(売上×利益×移動効率)を3つに絞り、自社直販の重点エリアに設定。
- 下位エリアは、信頼できる代理店・パートナーに委託し、SLA(応答時間、デモ機管理、報告頻度)を文書化。
- 直販エリアの担当者には、訪問数ではなく「初回→PoC→稟議→契約→導入」のステージ進捗を評価する指標に切り替えた。
得られた効果
- 移動時間が25%減り、週あたりの商談数が約1.3倍に。
- デモ機の稼働率が上がり、同じ台数で扱える案件が増えた。
- 代理店との情報共有を週次で行うことで、下位エリアの機会損失が減った。
3. キーマンとの合意形成を「先に」やる
以前は、診療科の先生と盛り上がってから情報部やMEに行き、止められることが多かった。いまは逆だ。初回の1〜2回で、以下の4者に会うことを必ずやる。
- 情報部/CIO:データフロー、ログ仕様、閉域クラウド/オンプレ、更新ポリシー、責任分界。
- ME機器管理室/臨床工学:安全性、互換性、保守。デモ時の設置条件とリモートサポート手順。
- 看護部/薬剤部:ワークフローと教育工数。夜勤帯や新人オンボーディングへの影響。
- 経営企画/事務長:中期計画との整合、KPI(在院日数、時間外削減、DPC係数)のどれに効くか。
これら4者への説明資料を「初回から出す前提」で作り直したら、審査サイクルの遅延がほぼなくなった。
4. 価格競争から抜けるための「運用価値」の可視化
価格で競うと際限がない。私は運用と働き方の価値を数字とストーリーで見せるようにした。
- 時間削減:病棟スタッフがデモ機セットアップにかける時間、清掃・点検時間を測り、短縮効果を人件費換算。
- 安全性とトラブル減:転倒リスク低減、故障時のダウンタイム短縮をデータ化。
- 教育負荷:初回教育と再教育の工数を短縮し、手順書と動画を用意。
- サポートと責任分界:L1(一次対応)とL2(技術対応)の分担、レスポンスタイム、代替フローを文書化。
- 横展開の容易さ:複数病院グループでの標準化手順を1枚にまとめ、スケールのしやすさを強調。
これらを稟議資料に入れると、単価の競争力が多少劣っても通るケースが増えた。
5. 人手不足の中で「営業を軽くする」仕組み
生成AIで資料と議事録を時短
提案初稿、議事録要約、競合比較の叩き台を生成AIで作る。閉域環境でログを残し、情報部に説明できる形にしておく。私のチームでは、週に3本分の資料作成時間が約4時間削減できた。
移動とデモ機の最適化
デモ機の在庫と移動予定を共有カレンダーで可視化し、週次で最適化。貸し出しと回収のルートを固定化したところ、デモ機の滞留が減り、移動コストが約15%下がった。
標準化されたPoCセット
目的・期間・評価指標・データ範囲・費用負担・撤退条件をテンプレ化。院内の「どの会議で」「誰が」承認するか、事前に埋めて持参する。これだけでPoC合意の速度が上がる。
6. 2024〜2025年の「今やる理由」を作る
- 医療DX・生成AIの実装フェーズ:審査のための監査ログ、根拠提示UI、モデル更新手順を先出しできるベンダーが求められている。準備ができている今が差をつけるタイミング。
- 病院再編と中期計画:2025〜2027の重点診療科に合うソリューションは、今年中にPoCを始めないと予算枠が埋まる。
- 働き方改革:時間外削減KPIが厳格化。夜勤負荷を減らす提案は「今年やる」理由になる。
- コスト圧力:物価高・人件費上昇下でTCOを下げる施策は、待つほど難しくなる。サブスクや成果報酬を今年度内にテストする価値がある。
7. 失敗とリカバリーの実例
倫理・情報審査を逃して3か月遅延
最初の頃、情報部への資料を後出しして審査サイクルを逃した。以降、初回面談で審査日を確認し、1週間以内に不足資料を提出するルールにした。今は最短で90日以内に審査を通せている。
看護部の反発でPoCが止まる
手順増を軽く見て「大丈夫です」と言ってしまい、看護部から拒否された。再訪問で夜勤帯の業務を見学し、教育計画と問い合わせ窓口を具体化して再提案。時間削減も具体的に示し、PoCに至った。
価格に引っ張られて安値受注
「値下げすれば通る」と言われ、単価を大きく下げて受注。しかし運用負荷が想定以上で赤字に。以降、「運用価値」を稟議セットに組み込み、単価を守りながら通すことを優先している。
8. 30・60・90日プラン(実践版)
0〜30日
- エリア別の売上・利益・訪問・移動時間・デモ機コストを可視化し、重点エリアを決める。
- 審査用資料(データフロー、ログ、更新ポリシー、責任分界)とPoCテンプレを整備。
- 代理店候補を洗い出し、SLAと情報共有の枠組みを検討。
31〜60日
- 重点エリアでPoCを3件合意し、評価指標(時間削減・安全性・TCO・働き方)を決める。
- 生成AIで提案初稿・議事録要約を回し、週次で詰まりポイントを共有。
- デモ機運用をカレンダーで最適化し、移動負荷を下げる。
61〜90日
- PoC結果を稟議セットに格納し、運用価値と回収期間を数字とストーリーで示す。
- L1/L2サポート、教育・再教育、リリース管理、障害時フローを文書化。
- 代理店との役割分担を詰め、下位エリアのカバレッジを固める。
9. トークの型(相手別)
- 情報部/CIO向け:「データは閉域網で完結し、ログは10年保存。モデル更新は四半期ごとの審査を経て実施します。責任分界と代替フローはこちらです。」
- ME/臨床工学向け:「既存機器と干渉しないテスト計画と、リモートサポート手順を用意しました。保守の一次対応は弊社、二次対応は専門チームで実施します。」
- 看護部向け:「セットアップと清掃の時間を平均で週○時間削減できます。初回教育は1時間、夜勤向けに15分の再教育をオンラインでご提供します。問い合わせ窓口は平日+オンコールです。」
- 経営企画/事務長向け:「時間外削減と在院日数への影響を試算し、回収期間は○か月です。中期計画の重点診療科(例:救急・脳卒中)で先行導入し、グループ病院へ横展開するプランです。」
10. おまけ:初回訪問の持ち物リスト
- 会社概要(医療での実績、認証)
- 製品・サービス概要と運用価値の説明資料
- データフロー・ログ・更新ポリシー・責任分界
- PoC計画案(目的・期間・評価指標・費用・撤退条件)
- 教育計画と問い合わせ窓口の一覧
- 横展開プラン(グループ病院を想定)
- 失注レポートからの学び(自戒用)
11. ケーススタディ:3つの突破劇
ケース1:安全性審査で止まった案件を救う
関西の大学病院で、情報部とMEの承認が取れず3か月止まった。原因は、ログ仕様とリモートサポートの責任分界が曖昧だったこと。再訪問で、ログの粒度・保持期間・閲覧権限、リモートとオンサイトの切り分け、代替フローを細かく文書化して共有。倫理審査も同席していただき、60日で審査を通過、本番化につながった。やり直しには時間がかかったが、「曖昧なまま進めない」姿勢が信頼につながった。
ケース2:代理店と協業して広域をカバー
中部エリアは移動コストと時間が嵩み、商談が追いつかない。信頼できる代理店にSLAを明確にした上で委託し、週次のオンラインで情報共有。デモ機の管理と回収は当社がリモートで支援し、トラブル時はL2で即応する体制に。結果、下位エリアでの受注が前年対比15%増、当社の移動コストは12%減。代理店を「手間」と見ず、プロセスで巻き込むことが鍵だった。
ケース3:価格競争を脱して単価を守る
大手病院グループで価格競争に陥った。従来なら値下げで応じていたが、今回は運用価値を全面に出した。時間外削減、転倒リスク低減、教育負荷削減、TCO削減を稟議セットに組み込み、回収期間を11か月と試算。グループ横展開のプロトコルも添付した結果、ほぼ定価で通過し、その後系列3病院へ展開。価格より「運用の安心」を買っていただけた。
12. チェックリスト50(抜粋10)
- 審査会(倫理・情報)の開催日を初回で確認したか
- データフロー、ログ、更新ポリシー、責任分界を初回で渡したか
- 看護部・薬剤部の教育計画を提示したか
- 時間削減を人件費換算し、回収期間を示したか
- 中期計画と重点診療科に紐づけたか
- サブスク/成果報酬/リースを複線提示したか
- 横展開の手順(契約・教育・データ移行)を1枚にまとめたか
- デモ機の設置・回収・清掃手順を明文化したか
- 障害時の代替フローを示したか
- 失注理由を記録し、次の病院で仮説検証する準備をしたか
…実際は50項目を訪問前に必ずなぞっている。
ケース4:デモ機の「回らない」問題を解消
デモ機が戻らず、新規訪問に使えないことが続いた。週次でデモ機の貸出・回収・清掃・保守をカレンダー化し、担当と締切を明確にした。併せて貸出先の病棟に簡易チェックリストを渡し、返却前の点検をお願いした。結果、デモ機滞留が30%減り、同じ台数で扱える案件が1.4倍に増えた。デモ機の管理は地味だが、販路拡大のボトルネックになりやすい。
ケース5:営業メンバーの離職を止める
エリアの広さと移動負荷でメンバーが疲弊し、離職が続いた。重点エリアへの集中と代理店活用に切り替えたうえで、評価軸を「面談数」から「ステージ進捗」に変更し、生成AIで資料作成を時短。週次の1on1で負荷を聞き、移動とデモ機スケジュールを調整したところ、半年で離職がゼロになった。「頑張り続ける」のではなく「仕組みで軽くする」ことが必要だった。
13. 2024〜2025のトレンド別ワンポイント
- 生成AI:監査ログと根拠提示UIまで用意すると、情報部が前向きになる。モデル更新の審査手順も必須。
- 病院再編:グループ横展開の標準プロトコルと教育キットをセットで提示すると、経営企画の関心が上がる。
- 働き方改革:時間外削減を数字で示し、看護部と情報部の両方に響くストーリーにする。
- コスト圧力:セルフメンテとリモートサポートを明記し、保守費削減を具体的に示す。
14. 日々のルーティン
・訪問後30分以内に議事録をAIで要約し、当日中に関係者へ共有。
・失注レポートを週末に見返し、翌週に試す仮説を1つ決める。
・デモ機のスケジュールを毎週月曜に最適化し、無駄な移動を削る。
・病院のカフェで5分、「今日は誰の不安を減らせたか」をメモする。
こうした習慣は地味だが、積み重ねるほどに提案の質と速度が上がる。人が増えなくても、仕組みと習慣で足腰を強くするしかない、と自分に言い聞かせている。
15. さいごに:小さな前進を積み重ねる
販路拡大は「広く薄く」ではなく「深く、早く、小さく学ぶ」が正解だと痛感した。人が足りなくても、資料準備とキーマン合意を先にやれば、審査の遅延は減らせる。価格競争に飲まれそうになっても、運用価値を数字で見せれば、単価を守りつつ通す道がある。
今日もデモ機を車に積み、院内のカフェで5分だけ振り返る。「誰の時間をどれだけ減らせたか」。答えが一つでも浮かべば、次の一歩が軽くなる。また病院に向かう。 次はどの病院で、どの人の不安を減らせるか。そう考えるだけで、ハンドルを握る手に少し力が入る。
また、道路の向こうに次の病院が見える。エンジンをかけ直し、もう一歩だけ前へ進む。
また病院へ。
追加リソース
伴走型営業支援の導入ステップや事例、費用感はLPに整理しています。デモ機運用やSLA設計の具体例は詳しくはこちらからご覧ください。
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